世の中には子供が大好きな方もいれば女性の中でもそうでない方も一定数いるかと思います。
それでも、パートーナーが子どもを希望していたり、ふと一人で思い悩んだり・・。
まいこ
そんな方の参考になればと思い、
子どもが苦手かつ自分の時間大好き!だった私がママになった理由と実際に妊娠・出産・子育てをしてみての気持ちの変化
などを綴りたいと思います。
※あくまでも一例として読んでいただけたらなと思います。
〜この記事はこんな思いの方へ向けて〜
■子どもが苦手だけど妊活しようか迷っている
■産んだら我が子は可愛いっていうけど、子ども苦手な人でもそう思うの?
■一人の時間が好きだけど、産んだらきっと皆無。耐えられるかな?
私の子ども苦手レベル
恐らく軽〜中度。
自分の親族や親友の子は可愛いなと感じました。
しかしその他の場合は、よほど可愛いベビーモデルクラスでないと可愛いと思えませんでした。
当時はLINEで写真を送られても困るし、SNSで見る写真はどれも同じに見えました。
小さな子どもから手を振られたり、見つめられたり、にこっとされたり、話しかけられたりするとどうしていいか困惑してしまい、
「こっち見ないでくれ~」なんて願うことも。笑
まいこ
子ども願望
強いこだわりはなく、子供がいる人生もいない人生もどちらでも受け入れる気持ちはあった。
子どもがちょっと苦手な気持ちと、妊娠したら今までせっかくジムで絞った体型も崩れて太るだろうし、海外旅行もしばらくいけなくなる・・。
恥ずかしながら、そんな自分本意な気持ちからそこまで前向きではなかったです。
授かりものだし、どちらでもいいかな?
いない人生ならば思う存分旅をして、主人と愛犬とのんびり暮らそう。
幸いにも恵まれたならば、それはそれで家族が増えて楽しいのかな?
でもあんまり可愛くなかったら愛せるかな・・?
そんなふわっとした気持ちでした。
妊活しようと思った理由
主人の一言
私は主人と一回りちょっとの歳の差婚です。
あるとき、私はぼやきました。
まいこ
この先、◯ちゃん(愛犬)がまずいなくなって、年齢的には◯(主人)が先にいなくなっちゃうよね。
そしたら寂しいなぁ。
一人で何しよう?私は◯ちゃんにも◯にも看取ってもらえないのかぁ。
まいこ夫
そうやね。だからまいこちゃんは子どもいた方がええんちゃう?
俺がいなくなっても一人じゃないよ。
大変なことも多いかもしれへんけど。
この一言で、私の気持ちに変化が生まれました。
・・・いてもいいかもしれない。
主人と結婚して過ごしてきたという目に見える愛のカタチ。それが子どもなのかなと感じたのです。
年齢的に今だと思ったから
私は以前から多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)という、排卵がしにくい体質です。
私の場合、誘発しないと生理は年に1-2回しか来ません。
30代前半とはいえ、自然妊娠は無理ではないけれど通常に比べて難しいであろうことは自覚していました。
その為、ほしいと思っても時間がかかると思われ、年齢的にも思いが固まったら即!妊活すべきだと思っていました。
※多嚢胞性卵巣症候群(PCOS:polycystic ovarian syndrome)とは、若い女性の排卵障害では多くみられる疾患で、卵胞が発育するのに時間がかかってなかなか排卵しない疾患です。
20代で概ねやりたいことをやり尽くしたから
画像:メキシコに一人旅した時。ホテルの窓から。 欲を言えばまだまだ海外は行きたい場所がたくさんありました。
けれども、
やってみたかったことは思い付く限りどれもこれもやれた。(
プロフィール参照)
自分の遊びたい欲は満たし切った。
なので、30代。
次のやりがいは・・?と聞かれれば特段答えるものがありませんでした。
今の仕事(金融)は合っているかもしれないけれど、昇格願望はなく(言っちゃった笑)、ゆくゆくは収入<楽しめる を重視して働きたいと思っていました。
これからの人生、子どもというものを産んで育てることに尽力してもよいかもしれない。
海外なんて、数年我慢したらまた行けるじゃないか。
むしろ子どもと一緒に行けばいい。
まいこ
ここまでの3つの理由から、
妊娠したらあれができなくなる、これがだめになる・・
そんなネガティブな思考が自然に溶けていきました。
子供苦手!自分時間大好き人間が出産してみて
我が子は可愛いはホント?!
とても可愛いです。産んで本当によかったです。
可愛いという言葉では形容できず。「愛しい」の方が適切かもしれません。
こんなに小さくて、壊れそうで、汚れのない美しいものがこの世に存在するのか?
腕に抱いた感動、あの柔らかい匂いは忘れられません。
きっとこの先の人生、この感動を上回ることはないでしょう。
この足がお腹を蹴っていたの・・?
この手がこちょこちょしていたのね・・。
まともに食事できなかった妊婦生活なのに、こんなにしっかりとした姿で・・。
心構えも、生活ももっともっとこの子の為に気を付けられることがあったんじゃない?
確かにお腹の中にいたのに、実感がわかなかった妊婦生活。
見えなかった物体が現実のものとなると、そんな気持ちが次から次へと沸き起こり、理由のつけられない涙が溢れ出てきました。
他人の子は可愛い?
やはり、自分の子が一番!なのですが、出産前より可愛いと思えるようになりました。
一通りの妊娠出産経験を終えて、エレベーターなどで乗り合わせた小さな子を見ると、
「この子も大切に想って、育ててくれている親御さんがいるんだな。そんな子が一人で外出しているなんて、何かあったら心配だろうな。優しくしてあげなきゃ」
などと、おせっかいなおばさん心が芽生えています。
また産みたい?
画像:撮影していただいたニューボーンフォト
不妊治療~妊婦生活~出産までが身体的にとても辛かったので、産みたくはないけど、もう一人いてもいいなと思います。
(矛盾!笑)
■不妊治療自体は半年。
最初は検査や風疹のワクチン接種で2ヶ月時間をおいたり、仕事で通院できずだったので、幸い実質2ヶ月程で授かることができました。
でも、できることなら薬も飲みたくないし注射や内診は何度もしたくはないものです。
まいこ
薬も副作用があるんです。
仕事を早々に切り上げて通院するもの大変でした。汗だくですわい;;;
■分娩時間は22時間20分。
時間だけ切り取れば初産としては普通よりやや長い位でしょうか。
けれども、つわりが始まってからは毎日仕事をしながら頭が割れそうな程の頭痛と、あらゆるにおいがダメで30数年間分かと思う位の強烈な吐き気。水も飲めず激痩せ。
その後も体調が妊娠前程万全な日などなく、だるさや動悸など常にどこか不調。
出産は私の骨盤が小さく、緊急帝王切開か促進剤の選択を迫られ、促進剤の激痛で数回嘔吐し気絶。
子宮が破裂したかと思う飛び上がるほどの激痛を体験し、最後は酸素マスクを装着し鉗子で引っ張り出してもらうという難産でした。
母子ともに危なくなり、急いで引っ張り出したので娘は呼吸がうまくできずNICU(後、GCU)へ。
私は3日間40度の熱でシャワーも娘を抱くこともできず点滴で繋がれていました。
あちこち負傷し20-30針縫合。産後4ヶ月頃まで歩行に違和感がありました。
まいこ
私、こんなにぼろぼろになって人生で何か悪いことしたかな?
この体、本当に元に戻るの?
なんて気持ちに。
まいこ
産後、まっすぐ立つなんて無理でした。
ずれた骨盤は一歩間違えば崩れ落ちるんじゃないかって程ぐらぐら。
排泄感覚も麻痺するなんてびっくりでしたよ!
本当に大事故後の状態なんだなと痛感しました。
何より傷が痛すぎて無理(涙)
円座が友達!
大好きだった自分時間は?
自分 < 娘との時間が大切・・! に変わりました。
産後、4-5か月目は骨盤矯正やジム(復活したんかい)に行っていましたが、
娘の後追いが加速してからは私がいないと泣いてしまうので行くのをやめました。
娘を抱っこしてスクワットしたり、遊ぶ娘を見ながら腹筋したり。
10年以上していたネイルも。もちろん大好きな海外旅行も。(旅行は時代が時代ですが)
3時間、自分の爪のために娘に寂しい思いをさせるなら一緒にいてあげたいと思うのです。
自分時間大好き人間でも、上手に朝晩でも一人の時間を確保したり、主人にみてもらい、たまにたった30分でも1時間でも買い物(必需品の)やランニングに行ければ不思議とそこそこ満足なのです。
一人で出かけても心配になり、早足で帰宅します。
まとめ
■妊活を決心した理由3つ
①大切な人を失ってもその人と紡いだ愛のカタチを残したいと思った為。
②年齢・体質を考慮した為。
③やりたいことを概ねやりきった為。
■心境の変化
・子ども苦手でも産んだら我が子は信じられない位愛しい。
・命の尊さを学び、他人の子も可愛らしく感じるようになった。
・もう産みたくないけどもう一人いてもいいと感じる。
(産みたくないのは妊婦生活や出産の難度によると思われる)
・自分時間<子どもとの時間 が大切だと自然に変化した。
私の場合はこのように変化しました。
まいこ
夫婦お互いの性格や価値観、タイミング、仕事、年齢、経済的な事情、周囲のサポートの有無・・・
各家庭によって様々な事情かあるかと思いますが、後悔のない納得のいく結果にたどり着けますように・・☆
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